Hagex事件から考えるブログ継続の難しさ・ITと宗教観

(禁欲 648日目・一食 466日目)

一昨日、全国ニュースになりましたがプロブロガーの「Hagex」という方が刺殺されてしまいました。

ブログに関するセミナー会場で待ち伏せされた後の犯行のようですが、ブログを長く書き続け、名も顔も表に出て有名になるとこういう事態も起こってしまうので難儀なものだと感じてしまいます。

このHagexという方のブログは私は今まで知らず、今回事件後に初めて拝見しましたが

「1ヶ月の記事数が、自分が1年以上書き続けたこのブログの総記事数よりも断然多い・・・」

正直驚きました。

 

はじめに

「よくこんなにネタが思いつくな、プロブロガーって本当にすごいな」とあらためて感心もしました。

ただジャンルが色々な分野の雑記ブログですので、このブログとは方向性が違いますが、ひとつ言える事は

「ブログの書き手は読み手を選べない」ということですね。

ここで一つ、最近よんでいるお釈迦様の原始仏典が

「お釈迦様って超すげ~、おもしれ~、よく2500年も前にこんなこと語れたな」と日々感心しながら大酒飲んでいる私ですが、

そんな自分が思ったことは

「インターネットの世界って宗教的にいうと霊界だな」ということです。

 

「Mr.T」の世界観

こんな事を書くと「またこいつは訳わかんないこという」と思われそうですが、理由は簡単です。

インターネットの世界は、自分たちが現在暮らしている「面と向かってコミュニケーションをとる物質の世界」ではなく、

「肉体がなくそこから飛び出した思考(霊)だけが好きに発言出来るかなり自由な世界」です。

ただここで言えることは、人の死んだあとの霊界というのは「天国と地獄」など良い人間・悪い人間とに振り分けられているので「一緒ではない」ということです。

しかしこれをインターネットの世界に重ねてみると

「天国からきたような霊と地獄にいってしまうような霊が、規制もあまりなく自由に交じり合う混沌とした世界」

ということになるので、先ほど書いた通り「書き手は読み手を選べない」ということです。

 

今回の事件

今回の事件の原因をざっくり読んでみると「低能(先生)」と人のことをブログ上で記載し、それを書かれた本人の恨みの犯行のようです。

しかしインターネットの世界というものは前述のとおり肉体という物質がない世界なので、

「名指しで侮辱をされると面と向かって反論できないだけ怨恨がたまりやすい」

相手のことを面と向かって「低能(先生)」とは、現実の物質(肉体)社会ではそうそう言わないと思います。

言われたとしても言った本人に思い切り怒りをぶつけられます。

しかしこれがインターネットの中の怖い部分でもありますが、どうしても相手がどこの誰だか知らないだけ

「世間体を考えなくても言いたい事がいえる、むき出しになったお互いの本性が現れてしまう」ということです。

今回の事件の悲劇は侮辱された側が「良い属性ではなかった」がために、そのあっち(インターネット)の世界の怨恨を現実社会にまで引っ張ってきて犯行に至ってしまったわけですが、

「今後はますますブログ書く人は気をつけなければならないな」と改めて痛感もしました。

 

狭いながらの技術大国

日本という国は高度に通信技術が革新していますが、狭い土地特有の「逃げられない村社会的な風土」ですので、表に出て一旦有名になってしまうと特定も容易く逃がれようがなくなってしまいます。

過去に凶悪犯罪を犯し、出所した元受刑者の名前を検索するとインターネット上にも簡単に居所が晒されるように、

今でも日本は「異端は村八分」のような意識が根付いているようにも思えます。

これが広いアメリカ大陸なら「西海岸から東海岸へ、はたまたカナダへ」など行方のくらましようがたくさんありそうなのですがね。

 

ブログを書き続ける難しさ

私自身はこのブログを「不射精禁欲を続けられるだけ、長く書き続けて伝えていこう」とは考えていますが、

「不射精禁欲ネタにして世に出て知名度アップさせよう!」

 

なんていう気色悪いことは断じて考えておりません

しかしこれからオナ禁・禁欲に限らず、

「ブログ書いて稼いで有名になって一旗揚げたい!」と考えている方は、上に書いたリスクも充分にあると考えた方が今後無難になっていくでしょう。

私自身はこのブログで特定の人の実名を記載した集中的な記事や、時事などに関することも、禁欲・スピリチュアルに絡めて書くのが好きではないので、あまり書いてはいませんが、

例え身元を晒してなくても、知らない人間とはいえインターネット上での「批難・中傷・侮辱はもってのほか」だと自分自身に戒めています。

 

まとめ・今回の事件から自分のブログを振り返り

今回の記事はいつものような冗談交じりの文面には犠牲者の方もおられる事件なだけに出来ませんでしたが、ブログの中でも

「オナ禁・禁欲ブログというものは特に注意したほうがよいな」とも実感してます。

というのもそれは「書いている内容が内容」だからです。

「オナ禁して彼女できた!」や「禁欲始めたら考えが深くなった」などいろいろな効果を皆さん書かれていますが、

ふまえてこれは「一体みんな何をかいて(語って)いるのか?」となると

「古来からの人間という秘密、掘り下げての人間の本質(真実)」をオナ禁・禁欲というフィルターを通して、オナ禁ブログを書いている人は語っています。

ですので物質世界のモノや仮想通貨などのブログに比べて非常に重く「責任も重大」となっていきます。

ほかから指摘が来て「間違えました、訂正します!の世界とはちょっと違う」ということです。

私がいぜんから「禁欲(オナ禁含め)ブログってむずかしー!」とはよく書いていますが、こういう理由があるからです。



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“Hagex事件から考えるブログ継続の難しさ・ITと宗教観” への4件の返信

  1. 現代においては身体の一元論が支持されていますが、意識と身体はネットによって切り離されているために最近は近代化が進んでいるかもしれませんね。
    海外の方はユーチューブなどでも自分の顔写真をアイコンにしてユーザー名を自分の名前にする方が多いですが日本人はそれを避ける傾向がありますね。まあもちろん日本人の権威主義的な国民性が出てるからこその行動でしょうけれど…
    だからこそ日本の方は怖いです、ネット二重人格と呼ばれる人も多いですしね。現実では温厚な方がネット上では暴言を吐くことはよくありますし…
    オナ禁なんてのは個人によって効果も違えばモチベも違いますからオナ禁したって意味ねーじゃねーか!派の方が大多数ですよね。こういう方にヘイトされないようにブログを存続させるのは大変だとは思いますがどうぞ自分の好きなペースで投稿を続けてくださいな

    1. senaさん、励ましの言葉ありがとうございます。

      おっしゃるとおり、オナ禁は目に見えない欲との闘いなので、一定期間試してみてもそれ以上に欲が強ければ、波にのまれてオナ禁効果を客観的に判断する思考力も奪い「意味がない!」と強制判断してしまいがちです。
      ですので私はこのブログで「禁欲は無理しないように」や「おすすめしない」と書きます、こればっかりは誰でも彼でも出来ませんからね。

      ブログは今後もボチボチやっていきます。

  2. Mr.Tさんや他の禁欲についての記事を読んで禁欲を始めた者です。
    禁欲をブログに残すこと。禁欲について書いている方や、Mr.Tさん。

    その情報と”禁欲は何か可能性”がある。

    僕は禁欲をする内にそう思って、動きたくって、
    僕も禁欲ブログを立ち上げました。

    それでも、この”禁欲”というカテゴリーで
    ”hagex”さんみたいに恨まれたくはないです。

    なので、Mr.Tさんや僕が参考になった禁欲についてのブログ。
    そんな風に、禁欲の可能性が少しでもあると思えた、

    僕みたいな、禁欲を実践していく人に伝えていけたらいいと思いました。

    熱く書きましたけど、
    文もめちゃくちゃで思いだけでも伝わればいいなあと思いました。

    Mr,Tさんの記事、後ろの方の記事?を読むことが多いですが、
    大変勉強になります。

    お邪魔しましたっ!!!

    1. yuuriさん、コメントありがとうございます。

      禁欲を始められたそうですね、このブログでも書いていますが「そんなに気負わず気楽に実践」してみてください。
      最初から気合をいれすぎて始めるとリセットしたときの落ち込みが激しいです。

      「リセットしたらまたやり直せばいいや~、でも前回よりも1日でも禁欲日数を伸ばそう」

      この程度で充分だと考えています。

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