禁欲&一日一食ブログ、1年継続出来たので気づいた事を書いてみます

(禁欲 565日目・一食 383日目)

とうとう本日でこの不射精禁欲&一日一食ブログも去年の4月4日から1年間続ける事が出来ました。

記事数はこれでちょうど160記事目でキリも良い感じです。

本日は私生活を通して一日一食と禁欲生活について、また気づいた事を気楽に書いていきます。

 

はじめに・一日一食にて

先日の話ですが家族が妻側の実家に遊びに行ってしまいました。

妻は飼い犬を

「飛行機で連れて行くのはお金がかかる、その分出してくれんならいいけど!」と、

私に世話を無理くり押し付け子供たちと行ってしまいましたが、1週間ほどまた久しぶりに一人の単身赴任+犬のような生活になっていました。

一日一食も1年以上続いているので「なんか好きなもんでも食べるか~」と考え、先日1年半ぶりにマックを食べました。

ここで夕食のみの一日一食のデメリットではありますが、このようにマックなど

「むかしは好きで頻繁に食べていたものが、夕食・一日一食まして既婚では食べる機会がほとんどなくなる」

ということです。

悲しいかな、ここは一日一食するなら我慢しなければなりません。

また朝食でお馴染みだったトーストや目玉焼きなども食べる機会がなくなってしまいました。

ほかにもカップ麺や朝食定番の焼き魚など、まだまだたくさんあるのですが、書き連ねると悲しくなるのでもうやめときます。

 

そしてまた久しぶりに

そして2日後、これまた久しぶり(2年ぶりくらい)にピザハットを頼んだのですが、ここでも気づきました。

一日一食者はLサイズのピザを一人で20分くらいで完食することが出来る・・・、これにははっきり言って驚きました。

わたしは別段、体格が大きいわけでもなく中肉中背のほうです。また大学生の20代頃は同じピザハットのMサイズ1枚すら完食出来なかったほどです。

それがアラフォー終盤なのにLサイズ完食とは一日一食者の胃袋とは一体どうなっているのでしょうね。その後の胃もたれなども全然ありませんでした。

ちなみに生地はもちろん「ふっくらパンピザ」です。



不射精禁欲生活にて

現在ゆっくりとではありますが、この禁欲ブログも記事数がたまってきたので過去の記事へのリライト作業を行っています。

そこで下の記事


オナ禁の奥義(コツ)気になる自分のフェロモンを数値化する方法

最近リライトしましたが、オナ禁続けている読者の方は参考になったかどうかはわかりません。

しかしこの日数まで不射精禁欲が続くと日数自体が本当に気にならなくなっていきます。

よくオナ禁ブログを書いている方の中でも「日数なんてもう関係ない」という文面が出てきます。

不射精禁欲でもそれは同様で、ある程度の日数が重なり逆に気にしてしまうと、それが「苦痛」となっていきます。

 

禁欲日数が苦痛になる理由

例えば私の場合だと既婚なので、もう上の記事のフェロモン数値は関係がなく、あまり気にしなくても良いのですが、意識してしまうのがクリシュナさんの「メダ神経」です。


クリシュナさんメダ神経とは?(下の記事のほかヘリクツにも書いています)

オナ禁365日・1年到達!ついでに一日一食半年経過の効果効能

クリシュナさん曰く発生までには12年の歳月が必要なので、日数で換算すると「4380日」となります。

現在で禁欲565日目なので残りは「3815日」ですが、毎日私のエクセル禁欲日記を眺めながら

「いまのフェロモン値がこれで、あと何日でメダ・・・」

な~んて指折り禁欲日数を数えて考えていたら苦痛になり、いつかたぶん気が狂ってしまうでしょう。

 

長期禁欲では絶対に日数を意識しない

読者の方の中でもし私のように在家禁欲者・メダ神経を目指そうとする人がいて助言できることがあるとすると・・・

「気が狂ってしまうので不射精禁欲日数を意識しない、まして逆算して毎日絶対考えない」

ということです、ここはオナ禁日数に捉われないオナ禁者と「考えが共通するところ」でもあります。

「日数が重なり昇っていく性エネルギーではありますが、日数のことは一切考えず、ひたすら何かに打ち込んでいく」

不射精禁欲の当初は「非常に日数を意識」してしまいますが、いずれは上のような思考にシフトした方が最善だと考えています。

 

長男の禁欲効果

話が変わり、私のかわいい長男さまの話ではありますが、今週末から中学生になります。


オナ禁・禁欲生活、最近の状況と今後のブログの不安

この上の記事で書きましたが、私ははっきりと「性エネルギーは精子」だと長男に伝えました。

それ以来、本人もきちんと理解したようで父親としては嬉しいのですが、一つだけ気がかりがあり、それが・・・

「おっかなくなってきている」のです。

そりゃまだ少ないとはいえ性エネルギーをまったく放出させていないので、テストステロンは上昇していきます。

テストステロン上昇 = 男らしくなる = おっかなくなる(すぐ頭に血が登る)

これはこのブログでも散々自分で書いて、自分でも経験してきた事なので理解はしているのです。

しかし長男はまだ精神が未熟で使いようが解らないので、これが精子を放出させず中学・高校・大学となっていったらと考えると・・・、父ちゃんまだまだ格闘技頑張らねばなりません。

ただ、この小学校を卒業してからの2週間ちょっとの休みの間にでも

「毎日のようにクラスの複数の女子が家まで誘いにきている」ので、

「オナ禁モテ効果」はちょっとづつでも発動しているみたいですね。(チチハケッシテウラヤマシイナンテオモッテナイ!)

 

まとめ

ブログを続けるにあたり最近は本当にネタに苦労しています。

不射精禁欲を長期続けるとスピリチュアル(宗教)に関しての話題が近頃の記事では非常に多くなっていき、今日のような普通の話題もなくなっていきます。

私も「そっち(宗教)方面には偏らせたくはない」と常々考えていますが、そうするとネタが枯渇し記事が行き詰まる。

禁欲ブログは非常に難しいのは前からお伝えはしていましたが、ひとまず今回はブログ1年達成記事を作成出来て良かったと思っています。

あ~、次なに書こうか・・・

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“禁欲&一日一食ブログ、1年継続出来たので気づいた事を書いてみます” への5件の返信

  1. このメダ神経というものは「あらゆるものを記憶する神経」ということで理解しましたが、思うんですが、それは別に、「それを手に入れるための一つの方法(12年射精禁)」だけなんだと思います。
     何が言いたいかというと、それは修行でもっと早く、確実に、それ以上の能力が手に入るのでは?と思うということです。12年も悶々と数えて過ごす必要は全くない、という可能性が大です。
     この話の根拠は、前に言ったたたき上げの超人、肥田春充氏です。彼は18才まで葦のようにガリガリで死にぞこないでしたが、体を作り替えようと決意して修業をはじめ始めたら、結果的にまぎれもない超人になってしまいました。
     (ウイキより)” 肥田春道:1900年(明治33年(この時18才くらいのはず)、)4月 心身の根本的改造に志し、古今東西の健康法、体育法を研究実践し、独自の鍛錬法を創出する。1902年(明治35年)4月 2年間の鍛錬により筋骨隆々となり、中学に入学する。(*中学には病弱のため通えなかったため遅れて入学。)
    1907年(明治40年)9月 中央大学法科、明治大学政治科、商科、早稲田大学文学科へ入学。1910年(明治43年)三大学、四学科を卒業。*ここまで*”と、あります。
     つまり彼は丹田(チャクラ)を中心に鍛えたことでメキメキと体と記憶力が発達し、半年で柔術の免許皆伝の実力を身につけ、同時に大学4科を受け、成績トップで卒業し、講演の際にはどんな些細な本の内容も記憶していて聞いてる人を驚愕させ(すでにメダ神経発現させてます)、しまいには真の超能力を身に着けあらゆる未来や問題を見通してしまった(メダ神経をはるかに凌駕する能力)、という方です。彼は結婚もしてますので、超禁欲してたわけでもないでしょう。結婚後(夫婦の営み後)にもすさまじい能力を次々と獲得して発現させてるわけです。
     12年という時間は「禁欲しつづけてれば自然と12年くらいで発現する」であり、それとは別に「訓練の質と強度によって、それ以上の能力を得られる確率は比例する」ということでは?と思います。長文失礼しました。*ブログ一年おめでとうございます。*

    1. こんにちは、鬼一さん

      クリシュナさんの言葉を借りると

      「完全な純潔を一二年間守れば、記憶能力が開発されて、知性は極めて精妙なものごとも洞察し、理解できるようになる。こうした知性によって初めて神を悟ることができるのだ。純粋な知性に恵まれた求道者に、神はお姿を現されるのだ。」

      鬼一さんの言う通り、瞑想してのチャクラ開発や経典を読んでいったり運動したりなどの修行も大事でしょう。
      私はこのクリシュナさんの言葉の「神を悟る」、これが一番重要なのではと考え面白楽しく現在禁欲生活しています。

      この神を悟るに関してはクンダリニを発生させ、ムーラダーラにいる蛇(ヒンドゥーでは母)をサハスラーラに到達させることによって悟ることが出来ます。
      ですので12年の不射精・メダ神経がクンダリニで良いのかは私もまだ12年に到達していないので解りません。

      肥田春道さんの未来を見通す力というのは、仏教の六神通である「天眼通(てんげんつう)」のような気もします。
      この六神通こそクンダリニ発生したあとに現れる能力ですが、その前に必ず「神の試練」がきます。
      お釈迦様もキリストもこの試練を乗り越えて、この能力を得たとされていますが、その辺も理解したくて私はひとまず禁欲して試してみているという事でもあります。

      クリシュナさんは「人の病気直したり、水の上歩いたりする神通力なんて、そんなもん求めんな!」とは言ってはいますが、私もそのへんはどうでも良いと考えています。

      また私も鬼一さんのおっしゃるとおり、訓練すると12年の歳月も待たずに何らかの力が発生していくような気がしています。
      よってお釈迦様のいう修行の一貫でもある減食、私の場合は一日一食を試してみたり、DHEA摂取して手っ取り早く精子を上に昇らせようとあの手この手で実施しています。

      本当はせっかくの鬼一さんの長文コメントなので1記事にしたいのですが、さすがに今回の私の回答を記事にすると「理解出来ない人」も続出しそうですのでやめておきました。
      いずれにしろ信仰心持ちながら不射精禁欲して今のところは待ってみるしかなさそうです。

  2. 返信ありがとうございます。
     確かに肥田春充氏も「超能力的な力は別にどうだっていい、だが一般の人々には正中心(丹田)の神聖さを認識させる一手段として必要だと思うから見せている」と言っていました。
     ”精子を上にあげる”という言葉で連想したのですが、専門的な本を読むとそれは「蒸留」という単語で表されるそうですね。
    何もしないとこの蒸留は起こらないばかりか、”その神聖物質(精子)は下降的振動状態に移行し、さまざまな病理を生み出す原因となる”、と以前にもコメントさせていただきました。(禁欲してるキリスト教徒の話)。
     問題が発生しないようにうまく禁欲してくのにはそれなりの知識が必要ですね。
     息子殿の今後の方向性を違えないためにも、有り余る若さと性エネルギーの消化の方向性をうまく指し示してあげる必要があるかもしれませんね。(エ〇ジードリンク系を飲んで性欲がおかしくなって道を違えないか等、ちょっと心配ですから。)

    1. ヒンドゥーの精液の上流 = ナポレオンヒルの性エネルギーの頭脳への転換 = 蒸留

      まったく同じ意味ですね。
      その蒸留を上手くいかせるために、まず「マニプラの記事」を書きました。

      クリシュナさんいわく「女と金」の事ばかり考えているとマニプラ(へそまたは丹田)止まりで、プラーナ(身体に吸収され、変換された精子)はマニプラの門を通過できず、鬼一さんのおっしゃるとおり今度は下降的振動状態、そしてそれでも無理して溜め込んでいると病理を生み出します。

      それで次に、無理して病気になってはいけないので「宮沢賢治の記事」と「バラモンの記事」を書いたんです。
      スワミ・シバナンダさんの「信仰心持たなければ禁欲なんて不可能」、これを踏まえると「信仰心持たなければ蒸留も難しい」ということになります。

      私の息子は中学入って部活はバスケと決めたようで、スポーツ系だったので私はひとまず安心しています。
      これから10代に吹き荒れてくる性エネルギーは激しい運動で鎮めなければ到底無理といってもよいでしょう。

      それでも性エネルギーを持て余すようなら、私の習っている格闘技にも興味がありそうなので習わせるつもりです。(資金があれば・・・)
      ここは私がこれからも注意深く息子を見ていなければならないと思っています、また本人は不服なんですが、エロ動画で自慰を誘発させてしまうスマホも当面は我慢するように伝えました。

      鬼一さんには息子の心配までしていただいて、ほんとうにありがとうございました。

      ~ちょっと小話~
      上に「神の試練」というキーワードを書いたのですが、ここには最後に禁欲者の「決めゼリフ」があります。

      お釈迦様・・・魔王(マーラ)よ去れ!
      イエスキリスト・・・サタンよ去れ!
      ちなみにクリシュナさん・・・母(マー)よあいつ殺して!

      そのとき私は「禁欲者にもやはり性格があるんだな・・・」と感じました。

      肥田春道さんはどう決めたのでしょうかね。

  3. 恐縮です。 まさに10代の性エネルギーは、半端ないですよね。格闘技習わせるのが出来るなら本当に好い事だと思います。スマホをやらせないのもすばしい判断と思います。(液晶のブルーライトや電磁波で視力低下や若年層の痴呆症的症状が増えてるという。)
     そして個人的な考察で申し訳ないことで、スポーツ(球技)に興じる人たちには武道者に比べると”何か”が欠けてるものが多い気がします。
     息子殿が決めたならしょうがありませんが、もし部活に柔道や剣道があるなら、スポーツよりも武道のほうが真っ当な人間形成が出来るのでは?と、失礼ながら思った次第です。
     スポーツには武道のような「礼(道・礼節)」がほぼないから、「霊(精神性)」も「零(円的概念)」も育たないのだろうと思ってます。(そのくせやたら女にモテるのがタチ悪いところ。)長文へのお付き合いありがとうございます。

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