オナ禁・禁欲と宗教の関係性、クリシュナさんの明かりの例え話

(禁欲 536日目・一食 355日目)


ラーマクリシュナさん: 神のお恵みにとって不可能なことがあるかね。千年のあいだ暗闇に閉ざされていた部屋に灯火を持ちこんだとする。

暗さは少しづつのいていくだろうか。部屋はいっぺんに明かるくなるではないか。必要なのは強烈な放棄心だ。
人はさやをはらった剣のようでなければならない。

「Mr.T」は本にたびたび出てくる、このクリシュナさんの「部屋の明かりの例え」が大好きなんですが、これはオナ禁・禁欲と非常に密接している、、、

といいますか「オナ禁・禁欲そのまんまの例え」なんです。

 

はじめに


ラーマクリシュナの福音 全訳


読者の方の中では、もうすでに「ラーマクリシュナの福音」を読破した方もいらっしゃると思います。

聖書と同じく、これにもいろいろな例えばなしが出てきますが「禁欲者ってホントに例えばなし好き」なんです。

「例えて人に伝えるのが、相手が一番分かりやすい」というのを、どの時代の禁欲者も理解して伝えているのです。

ただ、なにせ何を伝えようとしているかというと「神への信仰の事」なので、その時代々々に「伝えきったど~!」としても、

「時間が経つと、教えた人の頭の中からほわっと消えちゃう」のが禁欲者の悩みの種でもあります。


ラーマクリシュナさん: 一般の人々の信仰心は熱せられたフライパンの上に落ちた一滴の水滴みたいなものだ。

「ぷシュッ!」っと蒸発。

 

クリシュナさんの例えの意味

さて、上のクリシュナさんの「部屋の明かりの例え」ですが、これは人の内面を部屋にして例えています。

オナ禁・禁欲に何が関係しているのかというと、常連読者の方はお気づきだと思いますが、

「明かりがオナ禁・禁欲」なのです。

もう少し詳しく説明すると、明かりが「オナ禁・禁欲を知ることが出来たこと」と言った方が良いでしょう。

クリシュナさんはもっと大きな意味でこの事を言っていますが、「Mr.T」は色々な年代の読者の方がこのブログにいらっしゃるので、

それを「オナ禁に例えを例えて」今回記事にしています。

 

その明かりの深い意味

オナ禁・禁欲を知らないと

「部屋(自分)はいつまでたっても、千年たっても真っ暗の状態」で、

何もわからず歳をとっていずれ朽ちてしまいます。

しかしある時、あるはずみ(オナ禁ブログを偶然読むなど)でオナ禁を知ったとき(部屋に灯火がともったとき)に、部屋全体(自分自身)がいっきに明るくなり、周りの色々なその部屋にあるもの(数々のオナ禁効果)が現れる。


もうご存知のオナ禁・禁欲効果の記事

巷に言われるオナ禁・禁欲効果、そのオナ禁の奇跡の効果を解説!

なげやりですが、こんなような感じなんですよ。

こうなるとクリシュナさんの「強烈な放棄心」というのは、オナ禁では「自慰することを放棄」となりますが、それこそ継続させるには

「さやを払った鋭い剣のような強靭な心」も必要となっていきます。

 

明かりつけまっせ~

私が不射精禁欲の深さ知ることが出来た(明かりを灯した)のは、クリシュナさんを含めインドのヨギたちの言葉ではありますが、通称こういう人たちをインドの言葉では、、、

「グル」

と呼びます。いわゆる人に「明かりをつける人の事」です。


グルの説明(ウィキペディアより)

ウィキペディアで確認出来ますが、日本ではグルなんていうと悪い言葉ですが、インドではまったく違う意味ですね。

 

明かりの弱点・もろさ

しかし残念な事にこの明かりというのはせっかく点いても、本人の意志によっては簡単に消えてしまいます。

オナ禁で例えると「また簡単に猿に戻ってしまう」という事です。

ただ、消えても一度は点いて部屋の中の自分を見ているので、また点け直すことはいくらでも出来ます、そこは安心してください。

またこれを長期継続させるには、冒頭に書いた「信仰の心」というものがやはり必要になり、グル(禁欲者)の言葉が「どうしても必要になってくる」のも事実であります。


「完全なる禁欲が、霊的生活における成功の唯一の条件である。

しかし、神への愛と信仰なしには、完全な純潔を守ることは困難、というよりむしろ不可能である。」

スワミ・ブラマーナンダ

スワミ・ブラマーナンダさんのこの一言ですでにかたずけられていますね。

 

まとめ・決して気持ち悪いのではなく、、、

というよりむしろ不可能である

「Mr.T」はスワミ・ブラマーナンダさんのこのサバサバ感なセリフが好きなんですが、何度もこのブログでお伝えしたとおり、それだけ

オナ禁・禁欲とスピリチュアル(宗教)は離れられない間柄なんです。

宗教というと「気持ち悪い!」と真っ先に拒否反応を示してしまう人もいるかもしれませんが、宗教が気持ち悪いのではなく・・・

「教えるグルがあたま変だと教えられる人も変になり、だんだんと気持ち悪い集団になってしまうだけ」

なんだと考えています。

上にリンクを貼ったウィキペディアでグルの呼び名「〇師」というものがありますが、過去に日本でそう呼ばせていた新興宗教がありました。

そこの宗教は何をしたかというと「暴行・殺人」あげくに「駅で毒ガスをばらまく」なんていう大事件をしでかしました。

それだけグルのあたまが変だと全体も気持ち悪い集団になってしまうのですが、同じヒンドゥー教のクリシュナさんがもしこんな事件のことを聞いたら

「なんてコメントするやら・・・」ですね。

「Mr.T」はグルではないのでもう分りませんです、では今回はこのへんで。


ラーマクリシュナさん: 一匹のウシガエルが水ヘビに捕らえられた。ヘビはカエルを呑み込むこともできなければ放してやることもできなかった。

したがってカエルはたいそう苦しみ、いつまでも鳴いていた。またヘビも苦しんだ。

だが、もしカエルがコブラにつかまったのであったら、彼はひと声かふた声鳴いただけで静かになったことだろう。

いじわるな「Mr.T」はこれは説明はしませんよ~だ。

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