在家禁欲者は百年の孤独になり、オナ禁者はますます強くなる

(禁欲464日目・一食283日目)

またもや何たるお題が頭をよぎるメリークリスマス。

ちなみにネタバレですが、こういうお題のオナ禁・禁欲記事を書くとイマイチ人気は上がりません。

「彼女作る方法!」や「何日間目のオナ禁効果・報告!」、これ系統の記事は書くとPV数うなぎのぼりに昇っていくのですが・・・

(百年の孤独はわたしの好きな宮崎県の麦焼酎、高くてクリスマスでも飲めないけれど・・・)

 

はじめに・お釈迦様の曰く


「仲間の中におれば、休むにも、立つにも、行くにも、旅するにも、つねに人に呼びかけられる。他人に従属しない独立自由を目指して、犀(サイ)の角のようにただ独り歩め」

「仲間の中におれば、遊戯と歓楽がある。また子らに対する愛情は甚だ大である。愛しき者と別れることを厭いながらも、犀の角のようにただ独り歩め」

わたしの知っているお釈迦様の言葉でも最後にこの「犀の角」が出てくるものは40以上あります。

 

お釈迦様の言葉に良く出てくる犀

オナ禁・禁欲とは関係ないのですが、この犀(サイ)とは動物のインドサイの事を言っています。

このインドサイはつのが一本、ひとりで大地を歩く孤独大好きな動物です。(ちなみにアフリカサイはつのが2本)

今や絶滅危惧種となり200匹まで一時減りましたが、現在は保護され2500匹程度まで増えています。

角が薬となり、過去の乱獲が絶滅危惧の原因でもあり、現在でも狩猟・密漁が行われているようです。

だから一人では安心して歩けない現在はちょっと可哀想な気もしますがね。

 

2つの上のお言葉は・・・

サイの説明はこの辺にしておいて、上のお釈迦様が残した言葉は「不射精禁欲して解脱を目指している禁欲修行者」への「守らなければならない知恵」を犀の角の言葉で現わしています。

遊戯と歓楽・・・、150年前のクリシュナさんも「この世は歓楽の館」と、似たような表現をしていますが、こう考えるとお釈迦様のいる2500年前の超大昔も遊戯と歓楽がたくさんあったのでしょうね。

上の2つの言葉は、在家禁欲者になるには最低でも守らなければなりませんが、不射精禁欲者になると、自然と遊戯と歓楽は知らず知らず「遠のいて」いきます。

 

まず遠のいてしまうのは?

自分の場合に例えると不射精禁欲期間が1年4か月目ですが、まず第一に始まったのが「エロ禁」です。

他の方のオナ禁ブログでも「まずここからスタート」するのが多いように見受けられます。


長期「自慰脱者(オナ禁者)・禁欲者」の心構え(禁欲 237日目・一食 56日目)

上の記事でも書きましたが、オナ禁・禁欲するのであればエロ禁は「必ずといって良いほど必要」となっていきます。

この日数、不射精禁欲をしている自分が今だから言えるかもしれませんが、、、

「他人のエロ見て満足する小さな欲求(とても小さな煩悩)を捨てなければ、長期オナ禁・禁欲効果という大きな欲求(大きな自己実現)は得られません」

 

そして次に

続いて「風俗」や「パブ・キャバクラ」など異性が深く関係している場所も遠のいていきます。

わたしは過去に風俗やキャバクラなどには自分から率先して(一人で)行く人では元々ありませんでしたが、不射精禁欲を続けていくともちろん「行きたい!」という欲望は段々と薄れていきました。

現在の心境はというと普通のクラブなどにしろ「禁欲しているのにそもそも行く必要はなく、意味もなく興味ももうない」とまで変化していきました。

これが禁欲前の自分だったら・・・、と思うと現在は不思議なものです。

 

禁欲者は自然と孤独になり、自慰脱者(オナ禁者)は強くなる

このように普通の人なら楽しんでいる、お釈迦様やクリシュナさんのいう「遊戯と歓楽」ですが、禁欲をすることによって遠のいていくので、周りから自然と誘われなくなり、その機会すら自然となくなっていきます


最近の負荷・ムラムラは何か一味違うお釈迦様の言う一人でいる修行(禁欲 336日目・一食 155日目)

上の記事で在家で不射精禁欲するなら「一人孤独にならなければいけない理由」は書きましたが、それが長期続くと自然と自分の環境も不思議とそうなっていきます

ただ「孤独で寂しいといった感情」や「周りの同情が欲しいなどという邪な感情」は一切なく、それこそお釈迦様のいう

「犀の角のようにただ独り歩く」だけの心境、それが普通となっていきます。

もちろんセクリセありの長期オナ禁者でも、テストステロン上昇でメンタルが強くなり「寂しさ(孤独感)の軽減」と、他人には依存したくない「世間で自己を実現しようという欲求」は強くなっていくと思います。



自己実現


パブ・キャバクラ、風俗などはオナ禁者の方でも「行く・行かない」は全然個人の自由です。

ただオナ禁パワーを使いながら世間に100%立ち向かっていくオナ禁者の方が、スピリチュアル方面に意識が偏ってしまう在家禁欲者より「全然強くなり社会で成功する」と言ってよいでしょう。

 

まとめ・最後にもう一つのお釈迦様とどめの言葉

最後に在家禁欲者が孤独になってしまう「お釈迦様のとどめの言葉」があります、それが、、、


われらは実に朋友を得る幸を讃め称える。自分よりも勝れあるいは等しい朋友には、親しみ近づくべきである。

このような朋友を得ることができなければ、罪過(つみとが)のない生活を楽しんで、犀の角のようにただ独り歩め。

私の場合ですと「同じ在家禁欲者のような境遇のひと」となるんでしょうけど、そうなるとなかなかいないんですよ、これが。

クリシュナさんもまた同じことを言ってますが、確かに大昔なら禁欲者・修行者って探せばちらほら周りにいたのかもしれません。しかし現在の境遇は禁欲が必要のない超豊かで平和な時です。

これが在家禁欲者の孤独が加速してしまう理由でもあります。

 

 

だからといって「いまの時代がワリぃ!」と決して言ってるわけではありませんからね(いつもの誤解防止です)、意外と孤独な禁欲生活が「自分の性にあっている」から、今でも続けられていると思っています。

ではよいクリスマスをお過ごしください

☆メリークリスマス☆

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