一日一食を続けると意識してしまう「不食」と食べる喜びへの疑問(禁欲 323日目・一食 142日目)

今日の記事は久しぶりに食欲・一日一食の話題です。

しかしお題の通り、続けていくうちに何故か「不食」を意識していくようになってしまいました。

 

はじめに

以前に断食について記事にしたことがありました。


一日一食から断食へのトライ、断食によるデトックス効果&メリット(禁欲 299日目・一食 118日目)

一日一食者+禁欲効果があると意外にサクッと断食は出来ます。

心境としては「すんごいつらい・・・」ではなく「別に終わったら食えるんだから我慢しとけばいいんじゃない」程度です。

たぶんこれは「長期不射精禁欲のエネルギーで食欲が引き起こす飢餓感を消している」のだと感じます。(多少は空腹で辛いですがね)

 

最近になって

一日一食を始めた単身赴任の当時は夕飯がとても待ち遠しく、物凄い空腹感もあり、以前の記事のように今までの夕飯の量の1.5倍は食べていました。


月曜日からちょっときたない話(禁欲213日目・一食32日目)

しかし最近になり気づいた事は、夕食時でも「空腹感すら無くなってきた」という事でした。

「別に食べなくても、もしかしていけんじゃない」という感覚すら覚えます。

そして1.5倍食べていた以前の量も段々と減り、今現在は普通に3食たべていた時の夕飯の量と大して変わらなくなってきました。(体重はほとんどそのままです)

 

食べる喜びとは?

よく耳にする「食べる喜び」というキーワードが出てきます。

私も一日一食にしてからは周りから良く言われます。しかし一日一食+長期禁欲はその喜びすらも低下させていくようです。

これはサーチュイン遺伝子が身体の中でなにか小細工していっているのかもしれませんが、「本当は3食は食べすぎで老化・病気を促進させるのに、それでもその食べる喜びってなによ?」という考えを発生させます。

そして長期禁欲効果がその「食べる喜びという、いわゆる肉の欲」も削っていくのだと思います。


肉の欲についてはこの辺の記事から記載しています。

長期オナ禁・禁欲を人が実践していく理由(禁欲 314日目・一食 133日目)

したがって食べる喜びという概念すら、手から砂がこぼれていくように頭の中から消失するようです。

仏教でいう「貪る」という事が消えることなのかもしれません。

かといってこれが悲しい事だともさほど感じず、はっきり言ってこれが「長期禁欲する人の特徴」なのかもしれません。

 

現在、実在する最強の不食者

このような心境の変化により、その結果お題に書き以前にも記事にした「不食」をどうしても最近意識してしまいます。


食欲制限の最終形態「不食」(禁欲217日目・一食36日目)

不食の中でも太陽の光だけを食べる人、それを「サン・イーター」と呼ぶようですが、現在も実在している方で「プララドジャニさん」、この方が「最強」だと思います。

この方は「70年間の不食」も含め、排泄(大も小)もしません。これはもう「サーチュイン遺伝子がほぼ100%起動している状態」なのかもしれません。


プララドジャニさんについて

(AFPBBニュースより)

 

まとめ・でもしたくない

不食になる為には「太陽凝視」など色々な方法があるようですが、私の場合に当てはめると不射精禁欲エネルギーを保ちつつ、一日一食の量を徐々に減らしながら「太陽凝視」を並行して行うと「不食」になってしまうような・・・気がします。

ただそこまで感づいてきても、なかなかそこには踏み切れず「一日一食くらいは食べさせて」という最後の肉の欲(煩悩みたいなもの)が心の中にあります。

それに、さすがにそこまでやりだすと家族たちが「理解しきれず」、気持ち悪がって家から逃げ出してしまうかもしれませんからね。



不食: どこまで人は食べずに生きられるか

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